WRITING
2020年2月京都市立芸術大学作品展ステートメント
人が抱く感情や記憶といったものは刹那的でゆらぎのあるものだ。以前抱いてた感情を再び正確に思い出すことは難しく、形を変えてもなお残っていくものもあれば、跡形もなく消えていくものもある。同じものを同じように見ているようでも、自分がそこから感じる印象や感覚は日々異なるもので、常に変化している。その移ろいと変化して行く様子を表現していく制作を行っている。
院生になってから初めての作品郡は同じモチーフを何度もドローイングし、1枚1枚をシルクスクリーンの版にして刷り重ね、その中で生じるモチーフの揺らぎを作品にしていた。次のシリーズでは一つのドローイングを版にし、そのドローイングの1線1線を異なる色に刷り、モノクロだったドローイングが様々な印象で再現される作品を制作した。そのような作品を踏まえ、今の作品に至る。以前から海の航空写真のような作品を作りたいという思いがあった。見えているのは海の表面だけだが、その奥には捉えきれないほど多くのものがある。また同じ海を見ているようでもその中の水は常に流れて入れ替わっている。そういった見えないが存在しているもの、見えているが常に変化しているもの、何らかのアクションによって現れ消えていくものを表現するために今の制作方法にたどり着いた。
今回の作品はシルクスクリーンで刷ったイメージにカッターナイフで紙が切れないぎりぎりの深さでドローイングを重ねている。ドローイングによってできた傷と、その傷に滲んだインクによって新しいイメージが生まれていく。上書きされ新しいものが見えては流れていく中で淀みのようにとどまるものもある。それらは以前のものを全く消し去るというわけではなく面影を残しながらも別のものに変化していこうとする様子がうかがえる。今回の作品ではモチーフとして海を選んだ。海は好きだが、嫌な思い出と良い思い出の相反する二つの思いがある。トラウマも良い思い出も同じ記憶の海の中にあり、それらに明確な境界線はない。身を切られるような記憶も時間が経てば振り返ることができるものになっていくものである。それらすべてが混ざり合い、一つの流れとなって残っていくものもあれば、跡形もなく消えていくものもある。
自分の記憶について、私はあまり信用していない。この景色を見たとき隣にいたのは誰だったか、こんなことを言われたのは事実だったか、夢での出来事かもしれない、あるいは両方かもしれないと度々感じる。身近なものや景色を見て感じたことはその中でもより曖昧で、日々私の中で変化している。海は私にとって幼少期から今に至るまで身近にあったものの象徴だ。同じ海を見ているようでもその中身は常に入れ替わり移り変わっている。私自身もその日にあった出来事や心情によって同じ景色でも感じることはその都度異なり、今でも記憶に残っているものもあれば他の記憶にくっついてしまったもの、消えてしまったものもある。自分が見ている対象は変化していなくても、自分の内面が変化したことにより、対象そのものが揺らいで変化しているような感覚は、海に限らずいつも使っているマグカップであったり、もらったネックレスにも同様に感じられる。
私にとって制作とは自分自身を肯定するための大きな手段であると同時に、その手段であるがために自身を痛めつけるものでもあると感じている。制作に対しての負の感情は多く重たい。それでも制作を続けるのは、その中に今までの記憶の海の中で流されて消えなかったものが存在しているからだと思う。それは消えなかったほど重要なものであると同時に大きな淀みでもある。制作を続けることでこの淀みを消せはしないか、別のものになり変わりはしないかと願ってきた。しかし今回の作品を通して、この淀みを排除するのではなく過去から今までの私自身すべてを受け入れる心の準備ができつつある。負の感情も良い感情もはっきりとした境界線はなく、すべてが混ざり合って形を変えながら私の中に存在し移り変わっている。その儚い移り変わりを表現することで自分自身の中にある淀みさえも大流の中にある一部分として受け入れることができるのではないかと思っている。これからも自分自身を肯定することを1つの動機として作品を作り続ける。